留年生ができるまで③ 留年へのアウトランプ

前回はこちら
kamoyachu.hatenablog.com
中間テストを終え、いよいよ不登校の意思が固くなった私の、6月以降のスケジュールは以下のようになっていました。


月曜 1,3,4限とあるものの、1限の数学には行かない。
火曜 数学、物理の講義があるがどちらもほとんど行かない。2限のロシア語だけ出る
水曜 物理を切った。午後のロシア語には出る
木曜 唯一皆勤の般教(ドイツ史)
金曜 般教、数学とあるがどちらもサボり気味。


つまるところ、月曜午後(緩い必修と英語)、般教のドイツ史、ロシア語にしか出ていないことになります。理系大学生とは。


前述の通り、中間テストで早くも物理(熱力学)の単位を落とした私ですが、実はそれ以外の物理・数学についてもその理解は0に等しい状態でした。
そもそも数3、センター物理レベルから頭痛のタネでしてたからね…。ちゃんと勉強はしないとダメですよ。(本当になんでこいつは理系選択なんだ?)


そんなわけで、なぜか午前中に固まっていた数学や物理の講義のない、非常に大学生らしい清々しい時間割となった僕は、初めての関東暮らしを謳歌していました。
博物館巡りや、関東散歩、趣味に関する時間や音楽に触れる時間、アニメやプロレス、とにかく時間だけは有り余っていましたから、高校時代には全力で楽しめなかった悠々自適な一人暮らしを謳歌していました。朝日が登るまでネットサーフィンをしたり、平日の朝から行う小旅行の快感に、19歳の誕生日を迎えたばかりの私は心踊っていました。今思えば、酒も飲まず学校にも行かず、すごい楽しそうだなお前。





遊び狂った2ヶ月を経て、季節は暑さも沁みる7月末。
そう、期末テストの時期になります。

この時点で、私の数学・物理に関する理解はまるでありませんでした。
一応、テストの前週は全ての講義に出席し、情報を集めたのですが
「そもそも用語がわからん」「試験範囲って全部じゃねえか」
早くもこの時点で単位取得は絶望となりました。
幸いにも物理に関しては過去問が入手できましたが、過去問すら入手できなかった数学、線形代数解析学に関しては絶望的な状況となりました。



中学・高校時代の私のテスト勉強といえば、一夜漬けに全てを懸けていました。
集中力というよりは、危機感というのが前日の夜まで襲ってこないのがその理由でしたが、案外にこれが功を奏していたのです。(全体にそこまで悪くはないくらいの点数でしたが)
しかし、一夜漬けというのは何もなしにできるものではありません。
私にとっての一夜漬けというのは、既知のうっすらとした知識や用語を一夜のうちに体系化したものへと変換し、なんとか周辺知識で引っ張り出せるくらいに仕上げる作業のことを指します。

なぜ中学・高校でこれが可能だったかといえば、
「出席はしていた」「ノートやプリントの類は提出させられていた」
という半強制的な事前学習の産物だったわけです。


大学に入り、ノートどころか出席すらしていない私は、それすらも持たず、この時点で未だに「高卒の理系科目が苦手な人」でしかなかったのです。
月曜1限、解析学の試験を受けた僕は、3行ほどしか書けなかった答案用紙を見つめながら、ふとこんなことを思っていました。
「これ、もうダメだなぁ。」
試験に絶望した以上に、この先の大学生活における学業のスタンスがここで決定的となったのです。

「どう頑張っても優秀な成績を残せるはずはない」
「限界まで学生という立場と権利を行使して、最低限の学労でこの大学を乗り切ろう。」


そんなことを思いながらも、いざ広がる膨大な夏休みに私はひたすら遊び倒し、そして成績表の返却を迎えます。


春学期 成績
不可:物理、解析学線型代数
可:その他理系科目
良:語学含む般教
平均成績:可

結局、理系科目において可を超える成績は一つもなく、理系としては早くも最後通牒を突きつけられる成績となっていました。
3科目6単位を落とし、これらは全て一年時の必修単位でありました。

そんな絶望的な状況の中で、さらに科目の専門性が増す秋学期が始まリます。