さて、昨日の記事がきっかけで、「留年サークル」なる団体にフォローされました。
このブログの目的の一つでもある「見ず知らず留年生の参考になる」が一つ叶ったということで、実に喜ばしいことと言えます。
ただ、私なりに留年サークルという枠組みの意義について考えた時、何と無く危うさを感じてしまったので、それについて自分なりにまとめていこうと思います。
留年サークルの意義
留年生というのは、 同期という一番わかりやすい「横」の交友基盤を失い(そもそも留年する人は同期に友人がいない場合も多い)、多くがそのまま孤立してしまいます。
大学における単位取得において学力以上に情報戦が明暗を分けることは、日本の大学で単位を取得しようとした人なら想像に難くないでしょう。「戦友」がいない留年生にとって、少しでも情報提供の場、単位を取る努力を共有できる関係性、そういうものの構築が「留年サークル」という集まりの意義であると言えるでしょう。
留年サークルの実情
Twitterにおいて調べた限り少なくとも10団体ほどが発足しており、何かしらの活動を行っているようです。 学園祭で屋台を出したり、講演会を開くような積極的なサークルもありましたが、基本的にははメンバー同士での情報共有や互助のようなものを目的としており、主に同じ大学の学生同士がメンバーとなって運営(運用?)されているようです。
何が問題か
まず、状況をわかりやすくするため、留年というものをその理由から大別してみましょう。大学や学部によって進級条件は異なるため、それぞれの事情を全て一般化することは困難ですが、おおよそ以下のような事情が考えられます。
・病欠、履修間違など、授業の成績に依らない留年
・留学、就活等のための積極的留年
・特定科目における成績不良による留年
・不登校等の総合的な単位不足による留年
このうち、留年が深刻化する可能性がある学生は主に下の二つに該当する学生でしょう。というのも、下の二つは本人にとっての日常生活の中にその単位取得の道が存在しないためです。
ただ、特定科目を落として留年した人の多くは「般教1科目足りなくて卒業できなかった」「テスト日程間違えて留年が決まった」という、来年でどうにかなりそうという状況であることが殆どです。
今回問題なのはこういう人たちではなく「グループワークが嫌すぎて最後まで出席を続けられない」「どうしても必修の科目に苦手な分野がある」という学生です。彼らは詰まる所、自力での単位取得=進級が困難であり、全体でみれば小さなつまずきの一つでも、それをきっかけに留年が重症化していくことが多々あります。
こういった人や、そもそも全体的に単位を取得しなかったことによる留年は、本人の大学における帰属意識が薄れると共に、その後の単位取得のモチベーションや卒業までの道のり、強いては人生設計そのものが不安定になりがちです。
そこで、これを乗り越える場、卒業を目指していく仲間を得る仕組みとして、「留年サークル」があります。これにより、留年生の孤立化を防ぐと共に、帰属意識の回復や卒業へのモチベーションを得ることを期待できるのです。
ここまで書いていくと、「留年サークル」という活動は素晴らしい取り組みのように思われます。私も弊学で行われていたら顔くらい出すことでしょう。
前置きが長くなりました。では何が問題なのか。
大きな問題点は二つ、体系化の困難さと、組織自体が組織の崩壊を目標としていることです。
まず体系化の困難さについてですが、これは極めて単純な問題です。
留年生というのは、それぞれに抱えた事情が異なります。学部や落とした科目の違いはもちろんですが、同じ不登校にしても病気やバイトの都合だったり、学習意欲や卒業へ向かう熱量など、それぞれが別の事情を抱えています。「きちんと講義に出よう」「何があっても4年で卒業しよう」といったゴールをはっきりと決めている一般の学生に比べ、留年生という人種は「卒業」という目標に対するアプローチが一意に定まらないのです。
次に、組織の崩壊傾向についてです。
「留年サークル」というのは、それぞれが留年の解消を目指して集まった学生の活動です。構成員たる資格は「留年」のみであり、これが解消された時点で各員はその構成意義を失うことになるのです。
つまり、留年サークルというのは各員が目標を達成した時点で、その存在が消滅することになるのです。言うなれば、活動そのものが自己崩壊を目指していることになります。
個人ではなく名前を持った団体として活動を行う上で、これは非常に危うい状態です。各サークルにおける具体的な活動はわかりませんが、おそらく行動力のある学生が情報を共有する仕組みを作ったりしているのでしょう。これの管理、運用におけるノウハウが毎年崩壊の危機にあり、また一度崩壊してしまえば、それまで蓄積された情報などは失われてしまうのです。
留年サークルに憧れて留年するような学生はいないはずです。頼りになるが居座らない程度に居心地が悪い、という不思議な団体を、継続的な活動にしていくのは非常に困難であると言えるでしょう。
今後必要なこと
ある留年サークルでは、留年や留年生そのものに関する研究を行おうとしているようです。「自己責任」「個人の事情」と片付けられることが多い留年について、客観的な分析や、留年生への支援を考えることは非常に有意義な活動であると言えます。
そのためには、活動を個人の手の上ではなく、より公的な組織として成立させること、サスティナブル(持続可能)な組織にする必要があります。
現に、Twitter上にも現在活動が見られない「留年サークル」を冠したアカウントが散見されます。これらはおそらく行動を始めた学生自身の留年における問題が解消されたために止まっているのでしょう。
ですが、大学が単位取得によって進級・卒業を判断する仕組みである以上、留年は必ず発生する現象です。
毎年新たに出現する留年生同士の関係を構築し、それぞれを進級・卒業へ導く組織的な活動というのは一人の行動や一年限りの活動でどうにかなる問題ではありません。
サークルとして活動する彼らにも、留年問題における本質を捉え、サークルの構成員として有意義な留年生活を送って欲しいと期待するばかりです。
終わりに
長々と述べてきましたが、私自身は留年サークルの取り組みについては肯定の立場を取ろうと思います。
ただ、単に留年生がつるんで騒ぐのみで、何の甲斐もなく留年を重ねることや、また組織全体が進級や卒業によって丸ごと解消するようなことがあれば、それは大変大きな損失であり悲しいことであると感じるのです。
留年というのは現象、ついてしまった肩書きであって、人間性や思考の傾向を示すものではありません。自分にとっても、他の留年生にとっても、何か行動の助けとなるよう頑張ってください。
はい!今回は以上です!だんだん着地点がわかんなくなってきたぜ。
意見や間違い、感想等あればコメントでお願いします!
このブログも留年生の参考になればいいなと思ってやってるんで、よかったら今後もちょくちょく覗いて見てくれよな!