在籍上限は8年ではありません。

日本の4年制大学というのは、基本的には8年在籍することが可能です。(各学年ごとに1年ずつ猶予があるという体だそうです)

 

ですが、我々が実際に8年目の学生を見かける機会はほとんどありません。一留くらいならば割とゴロゴロ見つかるのですが(日本の大学生の約2割ほどが4年目で卒業しないらしいです)、二留三留ともなると本当に見かける機会は少なくなります。

 

紙を回すタイプの出席を取る授業や、テストの座席配置、提出物の返却や学生呼び出しなど、他人の学籍番号が目に入ってしまう事もあるかと思いますが、その中で留年生を見つけてしまった経験はあるでしょうか。おそらく気にもしてない人がほとんどでしょうが、私は留年を覚悟し始めた2年の初め頃から、その番号をかなり意識していました。

「自分の学科は何留までいるのか」「この講義は何年目くらいまで受けてるのか」「何割くらい再履修なのか」

こういうことを気にしながら、私は大学生活の大部分を送って来ました。(そして案の定そっち側になりました)

 

今でも私の印象に残っている、そして行動の指針となっている学生がいます。

その人は同じ学科の3年上で、今の私と同じように、下の学年の講義に一通り出席し、そして途中で消えたりしていました。

当時、2年生向けの演習で彼の発表を聞いた私は

「やっぱり5年在籍ともなると資料作りが慣れてるなぁ」

と感じたのを覚えています。その後も彼をいくつかの講義で目撃し、その多くで彼は半分をすぎたあたりから講義に来なくなりました。

3年に進級した時も、彼の姿や名前をいくつかの講義で確認しました。当時は私も多くの講義に出ていなかったので、その中で遭遇しているというのはよっぽど3年生と同じ時間割を組まざるを得なかったのでしょう。

 

ここで、ある事件が発生しました。

3年の後期には必修の実験があり、もちろん彼もその実験を履修する予定だったようです。事前に掲示板に貼られた「実験希望者は記名」と書かれた用紙に、彼の名前もありました。

しかし、彼は初回のガイダンスに現れませんでした。当然、そのガイダンスに出席しなければ単位取得はできません。

彼が初回ガイダンスを忘れていたのか、それともすでに見切りをつけていたのかは私にはわかりません。しかし、ここで彼が来年進級できないであろうことは決定的となってしまったのです。

とうとうそれ以降は彼の存在を確認することはありませんでした。私が専門科目の授業に顔を出さない事もあり、これ以降の情報をつかむことはできなかったのです。

当時、彼は6年目を消化したことになるので、休学していない限りは一年しか猶予がないことになります。(7年を消化して研究室に配属されない場合は放校となります)後日発表された、私の同期の代の研究室配属の知らせにも彼の名前はありませんでした。

 

彼が現在休学しているだけなのか、それとも6年かけて中退したのか、今の私にそれを知る術はありません。(ちなみに休学までいれると日本の大学に在籍できる年数は12年となります。ゴダイゴタケカワユキヒデ氏は11年かけて卒業したそうです。)

 

今3留が確定し、当時の彼と同じ立場になって思うことは、「どうせ抗うならば結果が欲しい」ということに尽きます。単位取得が絶望的になればなるほど、講義にすら出なくなったり、そもそも不登校になる気持ちは大変に理解できます。

とはいえ、卒業を目指すのであれば、一単位でも多くかき集めることは留年生にとって唯一の救われる道です。仲間の力で単位が取れることは殆どないので、その単位取得は己の双肩にのみかかっているのです。

 

 長々と書きましたが、今の私はすでに課題を1ヶ月くらい先送りしている身です。これを期に、少しそちらの方も進めていこうかと思います。

 

それでは仕留めに行きましょう。単位ってやつをよ...。