留年生ができるまで② 初めての中間試験

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大学に入学して1ヶ月、私はすでに講義から距離を置いていました。

一応大学自体には通っていたのですが、勉強なんてものは手につかず、ひたすらサークル棟と図書館を行き来するだけの日々を送ります。

 

こんな生活に陥ってしまったのは、二つの心理的ハードルを感じていたからでした。

 

1つは、講義を受けるハードル。

基本的に高校レベルの数学、物理学を理解せずに大学に入学した僕は、講義で扱われる内容がよくわかっていません。高校レベル以上で記述されるあらゆる計算、文字式が理解できなかったのです。もともと純粋な数学や物理学に興味が無いことも合間って、理解しようと思うこと自体が難しくなってしまいました。

結局、講義に出ても内容はわからず、計算や証明の意味もわからないため、講義中に得られる学びは殆どありませんでした。

こうなると、「どうせ何も学びが無いなら家でゆっくりしていた方が有意義だよね」ということになってしまい、留年への階段を駆け上がることになります。

 

2つ目のハードルは、簡単に言えば劣等感です。

大学に通う彼らを見て、人間として学力以上に埋められない差を感じたのです。

特技や資格、留学経験だとか そういう表向きのものではありません。

国立大に通う彼らは、それなりに努力を重ね、人生の各タイミングで課題をクリアし、「頑張ればそこそこきちんと報われる」という経験をもとにした自尊心を持っていました。

その点、私といえばずっと努力もせず、何も考えず、ぼーっと過ごしてきました。そんな自分が無性に恥ずかしいような情けないような気分になり、心の中で彼らと決定的な距離をおくようになるのです。

 

 

 

そんなわけで、結局ろくに勉強もせず、情報も仕入れず、いつの間にやら季節は梅雨に差し掛かっていました。その年は梅雨が弱く、北海道出身の私にとっても過ごしやすい日々でした。

 

私にとって初めての中間試験もそのタイミングで行われました。

 

それは一限の物理学の授業でした。

久しぶりに教室に入り、友達同士互いに今日の範囲を確認する周りの声に耳も貸さず、ただただ「中間試験とはどんなもんぞや」と、教員が現れるまでいつも通りスマホをいじっていました。

 

一時間後、教室から出た僕は1つの確信を持っていました。

 

「もう来週からこの講義は諦めていいな...」

 

その物理学の講義は、いわゆる前期後期制で、中間試験と期末試験を半分ずつ評価しその合計によって最終評定を出す講義でした。

つまり、中間試験で2割未満の成績を出した場合、たとえ最後の試験が満点でも単位は認定されないのです。

 

結局、私はそのテストの結果が0点だったことを確認し、翌週から講義に出ることはなくなりました。

 

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当時の問題用紙に残された最期の言葉です

 

 

こうして、私の不登校生活、留年へのカウントダウンが始まりました。

以降の展開も詳細に綴っていこうと思いますのでお待ちください。

 

では今回はこの辺で。またしばらく続きます..。

 

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