そうか、これが高等遊民ってやつか

なんとなくアクセス解析を眺めていたら、10時くらいにキュッと伸びてる時間がありました。何かといえば、どうやら再来年度の共通テストで予定されていた記述式が正式に延期することが発表されたみたいですね。(どうやったらこんな弱小ブログに辿り着くんだよ…)

kamoyachu.hatenablog.com

 

 とりあえずは安心なのですが、会見における以下の発言がどうも気になります。

「各大学で記述式の問題を問うて欲しい(意訳)」

「目指すべき理想とそれを評価するシステムの間に齟齬が生じ、それを埋めれなかった」

なぜ大学関係者でもない大臣が入試の問題や内容にここまで関与したがるのか。

理想と評価に食い違いがあるのに、なぜ自分の掲げた理想の方に問題があると思わないのか。

 

これ、なかなか深刻だと思うんですよ。

どうしてこの国では自身の領分を超える口出しが正当化されるのかということです。(この問題に限りませんが)

先述の記事でも述べましたが、入試というのはあくまで「大学」と「受験生」の間の契約でしかありません。

大学独自の観点から学生を見極める二次試験において、大臣が試験内容を誘導するというのはなんともおかしな話です。

理想と評価が違うというのも、当然の結果です。

そもそも、最初に文部省が提示した「理想」というのが、日本の法の考え方や現状のシステム、過去の事例から何も学んでいないからなのです。

「論理力・思考力」などといえば聞こえはいいでしょうが、そもそも現在の試験でそれが本当に評価されてないのか。それを評価する方法として記述式が適切なのか。記述式が共通試験のあり方として適切なのか。人前で大きく話す前に、この辺を勉強(議論ですらない)なさって欲しいというのが私の思うところです。

 

国、文科省や大臣は、よほど自分たちが考えていた青写真は素晴らしいとでも思っているのでしょう。どうも彼らは結論ありきで政策を考えているようですが、先にあるべきなのは問題です。その問題が本当に問題なのかというところから、まずは疑いと客観視、自己批判と論理関係をきちんと整理してから色々やって欲しいものです。振り回される方がしんどい。

「不景気だけど増税するンゴ!」→「景気最悪だし中小が死ぬほど廃業したンゴ…」

「金のかからない五輪にするンゴ!」→「計画が行き当たりばったりでありえん金かかったンゴ…」

「長期派遣の待遇を良くするンゴ!」→「短期契約でその都度切れば問題ないンゴ」

私がそこそこ社会を見るようになってからこんなんばっかりなんです。ルールを変えようという意思だけが強くて、どうも批判的検証が弱いんですよね。誰のためのルールか、損する人は誰か、なぜ今までそのルールがなかったのか。これらを整理した上で検証して行くのが有能な人間がやるべき政治という仕事だと思うんですよ。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストみたいなノリで政治やられると実際に死人が出るので。

 

とりあえずこの辺でやめておきます。飽きたとも言う。

なんか最近内容が重いのばっかですね。単に大学と家の往復しかしてなくて人間と会話もろくにしてないので、考えることがこういうのばっかりなだけなんですけど。学校(school)の語源がギリシア語の暇(skhole)みたいな話は有名ですけど、本当にそんな感じです。

暇すぎて考えることも出てくる言葉も文語にしかならない、って言うね。ちょこちょこストーリーとかも書いてみたんですけど、お前地の文しか出ねえ上に語彙力ねえな、みたいな感じでしんどいだけでござんした。

 

私も変なホテルとか不思議なドリンクのレポとかしたいんですよね。楽しそうだもん。

数少ないお友達の皆さん、お誘いお待ちしております。(自分から誘えないビビり)