テストが終わりましたので振り返り

お久しぶりです。ようやく今学期が終わり、やることも落ち着いたのでまた細々と書いていきます。

 

さて、今学期は「成績にかかわらず留年は決定済」という、大変難しい学期となりました。これの難しいところは、何と言っても危機感の消失と有り余る時間への対処、そして断絶された情報の獲得です。

5年もいれば、もう学部に知り合いなんてものはいないのです。教室で出会う学生に仲間意識などはまるでなく、圧倒的に他人です。グループワーク以外で彼らと話すこともありませんし、自分は大学生でありながら大学生になれない曖昧な存在となるのです。

そんな状態ですので、「情報戦」とも形容される単位取得は容易ではありません。何より、大学に行く足が重いのです。誰も知らない教室に入り、出席にマルをつけ、ノートを取ったり取らなかったりして、終わったらそそくさと帰るだけ。そんな生活は見た目以上に過酷なルーチンワークであり、時計以外に友と思えるものがないのです。

 

今学期が始まってからというもの、毎回出席が義務付けられていたいくつかの科目以外は講義にほとんど顔を出すことなく過ごしていた私は、12月までは圧倒的な時間を持て余し、年明けからは溢れる課題やテストに一人で立ち向かう日々を送ることになります。

正月が明けてからの私の生活は、常に課題やテスト勉強によって圧殺されていました。夜遅くまで課題をやり、仮眠をとって授業に出る。帰ってくればご飯を食べ、眠ります。そして起きたらまた課題や勉強を始め、夜遅くなれば翌日に備え仮眠をとる。この生活リズムでテストが終わるまでの一ヶ月強を過ごしていました。そんな生活は、大学と家との往復のみが唯一の身体的活動となり、買い物・外食・飲酒などもほとんど行いませんでした。

結局、正月明けから学期末までに提出した課題は16件、テストは8つほどでした。つまり、毎日常に何かしらの課題やテストに備えていたことになります。以前書いたように一月末には病気で寝込んでいた時間などもあるため、テスト期間などはかなりタイトなスケジュールが続いていました。

 

留年生にとって、唯一にして最大のモチベーション、そして危機感の根源たるものは「進級」です。しかし、私にはもうそれすらもありません。前期終了時点で留年が確定した私は、今学期どれだけ単位を取ろうが、どれだけ単位を落とそうが、次年度の進級には関係がないのです。そして、どうせ留年しているのだから来年以降の時間割にもさして影響はありません。今学期は再履修を回収する三年生と殆ど変わらない時間割なのですから。だからどれだけ単位を落とそうが、来年度も今期の時間割さえこなせばいいのです。落としてもいいという意識の危険さは、私もこの5年で理解していますが、それに抗えないからこその「このザマ」でもあるのです。

 

過密なスケジュールと、モチベーションの材料の枯渇、1月末からは夜になると止まらなくなる咳などは、私の精神をひたすら摩耗させて行きました。二月になる頃には完全に心が折れ、いつでも逃げ出す気持ちになっていたのです。

そんな私を支えたものは、ありません。強いていえば、スピーキングのグループ発表だけは彼らと私の単位のために頑張りましたが、それ以外はもう何も考えず、課題やテスト、成績のことを考えないようにするために勉強や課題をこなしていました。

 

最後の課題をデレマスのライブに向かう新幹線で書き上げたあと、私はようやく人間に戻れたと感じました。京都で小さな子汚い居酒屋に入ったときの、タバコやお醤油の焦げた香り。大瓶を小さなコップに注ぎながら、万願寺とうがらしをかじる心地よさ。私の勉強したことや興味のあることを聞いてくれた隣の席のお客と、一緒に考えた店の奥で流れるテレビのクイズ番組、そういうものがとても心に沁みたのです。

別れ際、彼女が「よくお勉強しとるね。留年しても学校辞めないってことは、やっぱりお勉強好きなんやねえ」と言ってくれたことが、今学期も単位に奔走した価値だったのかと思えています。思わせてくれな?そうじゃないと心なんていつでもすぐ折れる。

 

ぽつりぽつりと留年が決まった人が検索したのか、何も書いていない間にもこのブログにアクセスがあったようです。私自身、留年に備えた春はもう三度目になるので、今後ともこのブログで何か語っていければと思っています。他の留年生がこれをみて安心したり考察することはないとは思いますが、「こういう人間がいた」という足跡があるだけでも、留年が人間の営みの一部だと思えるでしょう。留年については以下のページを読もうね!

www.gssc.kyoto-u.ac.jp