コミケに行きました
皆さん、コミケって知ってます?
あの、オタクがいっぱいで、コスプレしてたり雲ができたりするアレです。
関東に住んで5年、コミケを知って十数年、今日初めてコミケってやつに行ってみました。
実はコミケは近年規模が大きくなりすぎて、開催日が4日間、会場も同人誌がメインのビックサイト側と企業ブースの青海側に別れています。今日行ったのは「企業ブース」と呼ばれる、どちらかといえば便乗に近い感じの会場で、入場料もかからず、どちらかといえばライブ物販のようなところでした。(例えがオタク)
私が会場に着いたのは10時半ごろ。開場時間から30分が経過し、かなり人の動きも落ち着いていました。
初めて入ったコミケの会場、青梅展示棟は、何というか普通でした。
大きな袋を配っている企業さんや、コスプレしている売り子さん、雨の降る中外で購入列に並ぶオタクがいて、会場内は活気もあり人も多いものの好きなところに好きなように動けるくらいの混雑さです。格好や持ち物が変わった人多めのバーゲン会場といったところでしょうか。(その状況は十分普通ではない)
私はコミケという枠は初めての経験ですが、いわゆる即売会イベントというのにはちょくちょく参加してきました。世間一般で「ヤバい」と噂されるコミケとやらがどんなものかと思って少しおっかなびっくりしていたのですが、本質的には他の即売会と大差ないな、というのが私の印象でした。
さて、コミケといえば戦利品ですね。朝から走ったり並んだりしてる人たちも、本質的には戦利品を求めて来ているので、これは大切な要素なんだと思います。
今回に限らず、私は普段アニメグッズやフィギュアの類はあまり買いません。本やカードなどは好きなのですが、コミケ名物でもあるタペストリーや抱き枕の類はハナから眼中にないのです。
と!いうわけで!今回の戦利品はこちら!
本が合わせて5000円!カードが2つで25000円!トータル3万円!
破産!
というわけで明日は本命?の同人誌エリアに行ってきます。
普段キャッシュレスに慣れすぎて現金の重さを忘れていました。簡単に財布って薄くなるんだね…。びっくりするほど現金がなくなってしまいましたが、コミケは、同人誌はお金じゃないよね…。出会いだよね…。知らんけど
というわけで今回はこの辺で!
お休みなさい!
さーむいーよるだーかーらー
ついうっかりクリスマスの駅へ向かってしまいました。
単に夜ご飯を食べに行くだけでしたが、今日は日本が一年で最もきらびやかな幻想に溺れる日です。
駅ビルもデパートも、あらゆる電飾と売り文句を駆使して人々の欲望を掻き立てていくのです。
そんな日に私といえば、いつも通りのラーメンといつも通りの本屋、ボロボロになったリュックの代わりを探しながらフラフラと人混みの中を歩いていました。
一通り終わった頃、時計は21時を指していました。ファッションビルや駅の地下街はシャッターを下ろし、人の波は漂うように街の中を満たしています。
はーこんな日になにやってんやろ。あ、ラーメンは美味しかったです。うん、知ってたけど。
ささやかな抵抗にコンビニでチキンでも買おうかと思ったんですけど、とうとうサラダチキンくらいしか見つけられなくて打ちのめされてしまいました。
結局そのまま歩いて家まで帰ったんですが、何故かこんなメモが残っていました。多分信号待ちとかに書いたんですかね。なんだこれは。
いやー!とりあえず今年はもう授業もないし、ひたすらダラダラしたいですね!
課題もやらねば
それでは皆さん、メリクリあけおめことよろ
自分以外が作った美味しいご飯が食べたい
皆様お久しぶりです。
今日12/24は何の日かおわかりでしょうか。
そう、私の今年最後の講義日です。
毎週ヘロヘロになりながら起きていた火曜1限も、とりあえず今日で今年の分はおしまいです。昨日は嬉しすぎて朝までゲームをしながら徹夜で1限に備えていました。寝なきゃ絶対寝坊しねえからよ(外出るの嫌すぎて結局15分遅刻した)
そんなわけで、明日からしばらくまたニート生活が可能です。せっかくの冬休みですもの。今しかできないコト、いっぱいしたいですよね!
まあ、友達がいるわけでもどっか行くでもないので、多分何もないんですけど。
年明けすぐにテストとか課題とかありますし。
はー!でも大晦日とか正月くらいはどっか行こうかな!
3年くらい前は突発的に京都行ったし、何かしたいよね!
以下、その時の写真
はい。というわけで近況報告でした。シリーズものもぼちぼち書いていきますので、今後ともよろしくお願いします。
ご報告
これは美味しい炒飯です
家にこもりて
たまに創作をするのだが、とにかく遅々として進まない。
これはもう趣味に許された特権でもあり、興味のないレポートなどは私はむしろ筆が早い方である。このブログも大抵早いのだが。
なぜ趣味となると作業が遅れるかといえば、それは妥協点の決定が総当たりでしかないためである。現状が最善だろうと自分の中で確信するというのは意外に難しい。つまり、一度決定した後に待ち受けるものは無数にある余事象の捜索なのである。
これはいくら考えても良いというものではないし、逆にすぐに思考をやめたからといって悪いというものではない。
将棋などのプロは、考慮時間がないとき直感で打つということがあるという。その直感が外れることもあるし、解析による最前手であることもある。また、長考したからといってその後の手が変わるわけでもなければ、その後の展開も予想通りということも多々ある。つまるところ、これだけは状況次第という他ない。
多くの作家は「締め切りが作品を作る」という。これはまさに余事象の放棄のための外部圧力であり、諦めを作る唯一の方法である。
そんなわけで、今日は一日机の前で過ごしていた。
大した進捗はないが、それもまた幸せである。これが私が創作を続ける理由であるし、幼かった私がプロの作家業を諦めるに至った道程の再履行である。(もちろん才能もないが、それに気づくのはもっと後である。)
やべ、12月も半分過ぎてる。期末課題あるやん…。テストも近いし…。
では、今回はこの辺で。
そうか、これが高等遊民ってやつか
なんとなくアクセス解析を眺めていたら、10時くらいにキュッと伸びてる時間がありました。何かといえば、どうやら再来年度の共通テストで予定されていた記述式が正式に延期することが発表されたみたいですね。(どうやったらこんな弱小ブログに辿り着くんだよ…)
とりあえずは安心なのですが、会見における以下の発言がどうも気になります。
「各大学で記述式の問題を問うて欲しい(意訳)」
「目指すべき理想とそれを評価するシステムの間に齟齬が生じ、それを埋めれなかった」
なぜ大学関係者でもない大臣が入試の問題や内容にここまで関与したがるのか。
理想と評価に食い違いがあるのに、なぜ自分の掲げた理想の方に問題があると思わないのか。
これ、なかなか深刻だと思うんですよ。
どうしてこの国では自身の領分を超える口出しが正当化されるのかということです。(この問題に限りませんが)
先述の記事でも述べましたが、入試というのはあくまで「大学」と「受験生」の間の契約でしかありません。
大学独自の観点から学生を見極める二次試験において、大臣が試験内容を誘導するというのはなんともおかしな話です。
理想と評価が違うというのも、当然の結果です。
そもそも、最初に文部省が提示した「理想」というのが、日本の法の考え方や現状のシステム、過去の事例から何も学んでいないからなのです。
「論理力・思考力」などといえば聞こえはいいでしょうが、そもそも現在の試験でそれが本当に評価されてないのか。それを評価する方法として記述式が適切なのか。記述式が共通試験のあり方として適切なのか。人前で大きく話す前に、この辺を勉強(議論ですらない)なさって欲しいというのが私の思うところです。
国、文科省や大臣は、よほど自分たちが考えていた青写真は素晴らしいとでも思っているのでしょう。どうも彼らは結論ありきで政策を考えているようですが、先にあるべきなのは問題です。その問題が本当に問題なのかというところから、まずは疑いと客観視、自己批判と論理関係をきちんと整理してから色々やって欲しいものです。振り回される方がしんどい。
「不景気だけど増税するンゴ!」→「景気最悪だし中小が死ぬほど廃業したンゴ…」
「金のかからない五輪にするンゴ!」→「計画が行き当たりばったりでありえん金かかったンゴ…」
「長期派遣の待遇を良くするンゴ!」→「短期契約でその都度切れば問題ないンゴ」
私がそこそこ社会を見るようになってからこんなんばっかりなんです。ルールを変えようという意思だけが強くて、どうも批判的検証が弱いんですよね。誰のためのルールか、損する人は誰か、なぜ今までそのルールがなかったのか。これらを整理した上で検証して行くのが有能な人間がやるべき政治という仕事だと思うんですよ。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストみたいなノリで政治やられると実際に死人が出るので。
とりあえずこの辺でやめておきます。飽きたとも言う。
なんか最近内容が重いのばっかですね。単に大学と家の往復しかしてなくて人間と会話もろくにしてないので、考えることがこういうのばっかりなだけなんですけど。学校(school)の語源がギリシア語の暇(skhole)みたいな話は有名ですけど、本当にそんな感じです。
暇すぎて考えることも出てくる言葉も文語にしかならない、って言うね。ちょこちょこストーリーとかも書いてみたんですけど、お前地の文しか出ねえ上に語彙力ねえな、みたいな感じでしんどいだけでござんした。
私も変なホテルとか不思議なドリンクのレポとかしたいんですよね。楽しそうだもん。
数少ないお友達の皆さん、お誘いお待ちしております。(自分から誘えないビビり)
留年生ができるまで⓪ どうして私は国立理系に?その2
前回の記事はこちら
理系志望として高校2年の春がスタートしたわけですが、正直この時点ではクラス替え以外何も環境の変化はありませんでした。
理系と文系で多少授業が異なるので、文系クラスの友人と話すときに違いを感じるくらいで、特に課題が増えるとか、授業が難しくなると言ったことはなかったのです。
さて、二年生になると模試や進路指導が本格化し、何の根拠もない志望校・学部を決めなければいけなかったりします。
当時の私の偏差値は高いものではありません。地方の弱小自称進学校で中の上、地元旧帝大の判定なども、まだ殆どの人が本格的に勉強を始めていないであろう夏にぎりぎりC判定に滑り込む程度でした。
そんな中、うっかり理系になってしまった僕の目指すべき理系像といえば、こういうものになっていたのです。
ちょうど高校生になったとき、零戦の設計者・堀越二郎をモデルにこんな映画が公開されていました。
昔から飛行機やら船なんかは好きでしたし、どうせ4年間拘束されるなら少しでも興味がありそうな業界のがよかろう、ということです。堀越二郎、平賀譲というのが幼い時からのヒーローの一人ではありましたが、数式の海には沈みそうでも、画面の中の彼らのように「鯖の骨」ならば自分も同じように愛でられそうだと思ったのです。(ちなみに当時から理系らしい学問、数学や理論物理、機械工学やプログラミングなんかにはからきし興味がありませんでした。)
そんなわけで高2の夏ごろでしょうか。今通っている学部を第一志望の欄に書き始めることになります。実際に受かる受からないを知るためいうよりは、自分の心の安定のために書いていた、というのが正確なところです。
というのも、理系選択の調査用紙を出した頃には「挫折したら文転」などと思っていたものの、夏休みの頃にもなれば文転もまた容易ではないことに気づき始めたからです。
理由は大きく2つ
日本史の圧倒的な不出来と、得意ジャンルを持てなかったためです。
まず日本史に関して。
中学の頃、私の社会科の成績は悪いものではありませんでした。特に、明治期以降の通史(日本史、公民)についてはそれなりに理解をしていたつもりです。それを踏まえて日本史を選択したわけですが、これが挫折の始まりでした。
高校の日本史では、中学の頃はなあなあにできた文化史や有力者の興隆の過程なども理解せねばいけません。特に私が苦手としたのが仏像と絵、歴代幕府将軍でした。延々と並ぶ漢字とアルカイック・スマイルの狭間で、とうとう心が折れた私の日本史の偏差値は35にまで落ち込んでいました。
また、高2の勉強の中で、得意科目もとうとうありませんでした。
模試を受ければ各教科の偏差値のグラフが大きくない正多角形を描きましたし、客観的に見ても、自分の印象としても他人に誇れるような得意科目はありませんでした。
文系受験というのは、理系に比べ各教科(国・英・社)の比重が大きく、私立文系などは数学・理科が不要なことも多いです。従って、5教科合計で同じような点数の受験生がいた場合、これらの受験に有利なのは満遍なく点数を取るよりも、文系科目の中に強みがある受験生の方が圧倒的に有利になるのです。
学校の授業に興味がなかった当時の私は、学校の成績も大したことなければ、自分で受験勉強をしているわけでもない、本当に何もない普通の高校生として有り余る若さを浪費していました。
完全にモブキャラとして生きていましたがそれはそれでよかろうもん。という感じでしたね。野球見たりアニメ見たりカラオケしたり、そんな日々を過ごしてました。(本当にモブだな?)
そういえば初めてオープンキャンパスというのに参加したのもこの頃、2年生の夏休みでした。ただし、本当に具体的なことは何も考えていなかったので、東京旅行の口実として行ったのです。名の知れた私大のオープンキャンパスに適当に参加し、「面倒臭そう」とだけ思って帰ってきた思い出があります。
結局、それ以来オープンキャンパスというものには参加していないので、これ以後の大学決めは全てインターネットの情報を頼りにしていました。
とにかく受験というのは情報戦なので、インターネットに限らず調べる力が重要だということはここで行っておきます。(この先に書きますが私の合格要因はほぼ情報戦によるものです)
さて、結局それ以後も何もせず(高校生らしく宿題とか模試の受験はやってました)、気がついた頃には受験生。三年生になってしまうのです。
当時の志望校の判定はE〜D程度、何よりもこの先伸びそうな科目がない中で、私の受験はいよいよ受験戦争の戦火へ飲み込まれて行くのです。
では今回はこの辺で!次回は入試くらいまで行けたらいいですね。